レジュメ@第16回哲学道場高円寺
第16回哲高(テーマは「意識」)で使用されたレジュメです。本の中から一部を読んでまとめただけのものですが、やはり全体を読まないと著者の立場に立って説明をすることは難しいと感じます。手抜きはできません……。
心身問題
コリン・マッギン『意識の〈神秘〉は解明できるか』(石川幹人+五十嵐靖博訳、青土社、2001)から第一章・第二章を参照しながらまとめました。
感覚や感情、情動や思考といった現象をひっくるめて「意識」と呼びます。意識は夢を観てゐるときにも働いてゐますし、また、意識一般と自己を対象とした意識(自己意識)とは異なります。
身体と意識との関係について、次の二つのアプローチが試みられました。
1.唯物論
唯物論によれば、私たちが内観によって得るココロなるものは幻想に過ぎず、実際にあるのは神経とそこを伝はる電気信号に過ぎません。これに対する反論としては、或る人の脳の活動や状態に関する物理的生理的な知識のすべてを以て、その人の心のありやうを知ることはできないやうに思はれるといふものがあります。つまり、脳についての知識と心についての知識とは異なるはずだといふ反論です。これに対し、唯物論者は事実と事実の知識は別物であり、心の理解と脳の理解とは同じ事実に対する二通りの理解の仕方だと答へます。しかし、このやうに事実とその現れといふ区別を導入してゐる時点で、脳の事実に還元出来ない現れといふ事実を認めてゐることになってしまふでせう。
2.二元論
常識的な見方は唯物論よりは二元論に近いと言へます。意識と脳との間には確かに対応関係が見られますが、二つは本質的に独立してをり、平行して進むものであるとするのが二元論の立場です。しかし、二元論は「ゾンビ問題」と「幽霊問題」とにぶつかります。意識なしの脳(ゾンビ)や脳を含む身体なしの意識(幽霊)といふものが想定可能だからです。しかし、そのやうな想定をすると、因果的に冗長な部分が現れて来て、謎がさらに深まるばかりになると思はれます。
――マッギンはこれらの説に対し、自説として「意識は脳組織の或る自然特性に根源を持つが、それは不可知である」との主張を提出します(以下、マッギンの立場から述べます)。
まづこの世界について、私たちは多くのことを知ってゐるわけではありません。人類が誕生する前や滅亡した後のことについては当然知ることができませんし、また、歴史的事実についても、すべての痕跡が残ってゐるわけではない以上、完全に知ることは不可能です。
私たちは幸運にも物理的世界については比較的よく知ることができました。しかし、この世界で成功したやり方を非物質的な世界に適用できると考へるのは軽率でせう。私たちの知能が生来持つ制限作用のおかげで、心の解明が困難になってゐても全然おかしくはありません。
内観による意識の見方と知覚に基く脳の見方とは一致しません。知覚不能であることが意識の本質の一部をなしてゐるのです。従って、意識と脳とは決して統合されません。
このやうなことから、意識の解明には現在の方法では不充分であり、根本的に新しい思考構造が現れるのを待つしかありません。
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