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2006年7月11日 (火曜日)

レジュメ@第17回哲高「世間」

東京は高円寺で開催されてゐる哲学討論会の第17回で使用されたレジュメ二稿を掲載します。

まづ、おのざわさんのレジュメです。


世間と社会

世間… 古くは『万葉集』(7世紀後半~8世紀後半)で用いられている言葉。当時は「世間」と書いて「世の中」と読んだ。江戸時代以降、ほかに社会を表す語が無かったためそのまま「世の中」、「世」といった形で用いられた。本来「世間」とは仏教用語であり、無情観に浸された言葉である。

せけん【世間】 (3)〔仏〕〔梵 loka〕変化してやまない迷いの世界。goo辞書(三省堂提供「大辞林 第二版」)

社会…1877年に西欧の言葉、ソサイエティー(society)の訳語として生まれた言葉。以来公的な文章では「社会」という言葉を用いるようになり、「世間」という言葉は公的な文章では見られなくなる。

「社会」とは西欧で誕生した概念で、社会契約説(この理論の前提には個人の確立があり、平等な個人間の自由意志に基づく契約によって自然状態から脱し、社会が成立するという説)という言葉からもうかがえるように、個人を前提とした、極めて合理的な理性に基づくシステムである。一方、日本における「世間」では理性は西欧からの輸入された孤立した形で位置づけられているのではなく、生活の中に埋め込まれており、「理屈ではない」という形で納得される。「社会」に対して「世間」は対照的な、情動や感情に基づくシステムである。上記のことから「世間」とは歴史的、伝統的システムであり、「社会」とは近代的システムであるといえる。

日本人は明治時代以降、積極的に西欧の諸制度を取り入れた。教育制度、運輸、郵政、軍事、政治、法制など外的なものには近代的なシステム、つまり「社会」を受容した。しかし家と家族などの人間関係までにそれが及ぶ事はなく、従来の「世間」が残存したのである。つまり外的な社会的基盤は西欧化、近代化されたが、それらを運用する人間は旧来の「世間」の枠の中にとらわれている状態ができてしまった。

阿部謹也氏は『学問と「世間」』のなかで日本が上記のような状態にあるのに関して、「まず「世間」を解体しなければならない」と主張している。一方で養老孟司氏は『無思想の発見』という著書の中で読者に「天皇家も、お茶の表千家も裏千家も、その他の宗家も、相変わらず続いている。歌舞伎役者はいうまでもない。それどころか、二代目、三代目の政治家も医者も、さまざまな職業もある。小泉首相は政治家として三代目である。それをどう思っているのだろうか。」と問いかけ、「日本の世間が、最後は再びその辺に落ち着いたとして、なにか具合の悪いことでもありますかね。」と半ば阿部謹也氏に対して挑発的とも取れる主張をしている。

参考文献:阿部謹也『学問と「世間」』(岩波新書735),養老孟司『無思想の発見』(ちくま新書569)


次に私のレジュメです。井上忠司『「世間体」の構造』(NHKブックス280、1977)をざっと読んで書きました。「世間」が心の中にあるソトの視線であるといふ定義はその場 の思ひ付き(と言っても参考文献の知識に影響されて)で書いたものですが、「世間」に広さがあり、世間は広い方が善いといふのは井上氏の本の中で記述され てゐた立場です(ただ、その立場とは恐らく「世間」の定義が異なります)。


世間

日本は「恥の文化」を持つ社会であると言はれます。これは西洋人が神を媒介として社会意識や道徳秩序を形成してゐるのに対し、日本人がヨリ直接的に「他人様」「世間様」の眼を気にして生活して来たことを意味します。

また、日本の「恩」の概念もキリスト教的な神から個人への与へる‐与へられる関係(タテの関係)ではなくて、同じ共同体に属して生活を共にする人たちからの相互貸借(所謂「貸し」と「借り」)の網の目として考へられます(ヨコの関係)。ここでは個人が孤立したものではなく、人々や自然の中から生まれて来たものと考へられ、自分を生み出し、自分に与へてくれた人々や自然を粗末に扱ふのは忘恩的であるとして非難されます。

しかし、人間が相互に助け合って暮らしてゐるといふやうな人間観は社会の発達・複雑化と共に次第に実感から離れていきます。自分が直接生活を共にする人々や相対する自然にだけ注意を払ってゐればいいといふわけには行かず、自分のムラの外側、ミウチに対するソトとの関係を意識せざるを得ないやうになってくるわけです。ここにウチとソトとの分離があり、ソトの人の視点・視界こそが「世間」であると考へられます。観念的にソトの人の視点に立ってウチの評価を下すことは「世間に対する体裁(世間体)を気にする」ことであり、ソトに飛び出してその視線にさらされることを「世間に出る」と表現します。

実際のところ、「世間」といふ語はソトの世界そのものを指す場合もあれば、何か規範的なもの(世間様)を差す場合もありますが、学問的には後者を中心にして考へるのが適切でせう。といふのも、「世間」が問題になるのは、物理的統計的に客観的なありさまについてといふよりも、或る人(もしくは或る人々)が「世間」だと思ってゐるものについてだからです。

従って、この場合の「世間」といふのは「内在化されたソトの人の視線」だと考へることができます。社会が複雑になる過程において、ミウチの倫理とソト視点から見られたミウチの評価とが分裂し、ここに「世間」が生まれると考へられます。この「世間」の倫理はそれが通用する範囲によって狭い世間と広い世間とに分かれます。持ってゐる「世間」の広さは人によって異なりますが、狭い世間を持ってゐる人は広い世間を持ってゐる人から批判されたり、自分の内なる「世間」が要求してくることに息苦しさを憶えたり、まだ見ぬ広い世間に憧れたりすることになります。

参考文献

  • 井上忠司『「世間体」の構造』(NHKブックス280、1977)。
  • 三浦つとむ『生きる・学ぶ』(季節社、1982)。

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コメント

おのざわさんのレジュメを追加致しました。

投稿: 深草周 | 2006年7月20日 (木曜日) 13時32分

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