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2006年10月26日 (木曜日)

第7回京都哲学道場

京都で開催された哲学討論会(第七回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 開催日時:10月21日(土)午後
  • 開催場所:貴船神社付近の茶店
  • 参加者:以下の三名(敬称略)。itikun・崎山ワタル・深草周(五十音順)。
  • 発表:予定発表者深草によるレジュメ配布とその内容の口頭による説明。飛び入り発表はなし。
  • 次回の開催予定日:公式サイト参照
  • 次回の予定発表者:深草周
  • 問合せ先:kusyaku_nikenあっとまーくyahoo.co.jp(深草)。
  • 関連リンク:

予定変更

さて、今回は10月22日(日)の開催……といふ予定に当初なってゐたのですが、こちらの都合により21日(土)に変更させて頂きました。そのことで一部混乱があったやうですのでお詫び致します。今後は公式サイトに情報を一元化するカタチで混乱しにくいやうな告知システムにして行ければと思ひます。

発表内容

今回は宗教哲学者Plantingaの学説の紹介でした。プランティンガの主張は「神の存在を合理的に信じることは可能である」といふもので、レジュメで取上げたのはその一連の主張の一部、神の存在証明に関するものです。

神の存在証明には歴史的に幾つかの類型がありますが、Plantingaはその中でも特に中世の神学者アンセルムスが行なった証明を典型とする存在論的論証を検討してゐます。アンセルムスは神を「それより偉大なるものが考えられ得ない存在者」と定義し、さらに「現実における存在は理解のみにおける存在よりも偉大である」といふ前提を使って、神は理解の中にも現実にも存在すると結論してゐます。

プランティンガはこの証明に対してなされた反論を検討した上で、可能世界論を援用しつつ、この証明をさらに明瞭に解釈し表現することを試みてゐます。

論証に必要な前提

レジュメ(p.1)から引用します。

まづ定義として、「神」≡「それより偉大なものが考えられ得ない存在者」とします。

(1)神は理解において存在するが、現実に存在するのではない。

(2)現実における存在は理解のみにおける存在よりも偉大である。(前提)

(3)現実における神の存在は考えられうる。(前提)

(4)もし神が現実に存在したとすれば、〔理解のみにおける〕神よりも偉大であっただろう。〔(1)と〔2〕より〕

私はセンテンスだけ読んでそのままネタ本から引っ張って来たので、注意が行かなかったのですが、崎山さんは(4)が(1)から導かれるのはおかしいと指摘しました。確かに(4)は(1)と(2)から導かれるといふよりも、定義と(2)から導かれるとした方が適切だと感じます。

ちなみにネタ本の凡例では〔〕内は訳者註の場合と原著者註の場合とを区別しないとあり、プランティンガ本人がこのやうに記述したのかどうかは不明です。

偉大さと卓越性との区別

プランティンガはアンセルムスの証明を何回か書き換へてゐます。レジュメではそのうち二つだけを引いたのですが、その二つの間に飛躍があり、それが崎山さんたちに違和感を与へたやうです。

二つの論証の間を簡単に補足しますと、この間には神の必然的なあり方に関する議論が挟まってゐて、「もし世界のあり方が異なったゐたならば偉大ではなかったやうな存在は(少なくともキリスト者にとって)神とは考へられない」といふことから、特定の世界における「卓越性」と超世界的な「偉大さ」との区別を導入してゐるやうです。

その他の疑問点

その他提出された疑問点を列挙しておきます。

  • プランティンガは諸々の可能世界の中で、或る世界Aの存在者xと別の世界Bの存在者yとを比べるやうな推論を行なってゐるが、そのやうな超越的な視点からの推論は可能なのか?
  • もしさうした超越的な視点が可能であれば、メタ可能世界論も可能なのではないか?
  • 様相論理(多値論理)と古典的な二値論理とを混ぜて使ってゐる恐れはないのか?

【約1700字】

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コメント

PDFのレジュメ、

Not Found

The requested URL /resume/KyoTetsu7_Plantinga.pdf was not found on this server.

でっせ。

投稿: txaaammmm | 2006年10月28日 (土曜日) 01時55分

>PDFのレジュメ

アドレスを張り替へました。お知らせ感謝します。

投稿: 深草周 | 2006年10月28日 (土曜日) 03時34分

あ、また消えてますね。PDFは置けないやうだ。
……htmlに書き直します。

投稿: 深草周 | 2006年10月31日 (火曜日) 21時42分

アンセルムスの定式化(は高橋昌一郎「ゲーデルの哲学」P203
プランティンガはシュテークミュラー「現代哲学の主潮流」V0L5 マッキーの部 P445
いい線いっていると思うよ動画で見る限り。がんばってね。
プランティンガの本最後証明じゃないなんていいだして変な感じじゃなかった?

投稿: まさ | 2007年1月28日 (日曜日) 23時28分

コメントありがたうございます(^ ^)

>最後証明じゃないなんていいだして変な感じじゃなかった?

まあ全体的によく言へば慎重、悪く言へば何をしたいのか分からない感じがありますね。証明によって伝導したいわけでもないやうですし、まさかプランティンガの証明が信仰者に宗教的な安らぎをもたらすとも思へない(^ ^;)。 

最後は妥当(valid)なんだけど、健全(sound)ではない――つまり推論としては正しいけど前提の真理性まで信仰を持たない人にも受け入れてもらへる証明ではないといふ話でしたね。有神論が内在的に矛盾してゐるわけではない――いや、矛盾してゐない可能性があるといふ……まあ確かにかなりスッキリしない(読者を煙に巻くやうな)結論でございました。

ちなみに最後の「証明」は道場の中でもかなりウケてましたね(^ ^;)。

投稿: 深草周 | 2007年1月30日 (火曜日) 07時17分

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