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2006年11月26日 (日曜日)

第8回京都哲学道場

京都で開催された哲学討論会(第八回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 開催日時:11月19日(日)午後
  • 開催場所:京大近くの某飲食店
  • 参加者:以下の三名(敬称略)。itikun・ツカダ・深草(五十音順)。
  • 発表:予定発表者itikunさんによるレジュメ配布とその内容の口頭による説明。飛び入り発表はなし。
  • 次回の開催予定日:12月16日(土)
  • 次回の予定発表者:itikunさん
  • 問合せ先:kusyaku_niken(at)yahoo.co.jp(深草)。
  • 関連リンク:

発表の内容

今回はウィトゲンシュタインの哲学に関するレジュメをitikunさんに切って頂きました。itikunさんによると、論理的に語れることの中に現実の事態について記述してゐることと、可能世界の事態について記述してゐることと二種類があり、これら論理的に語り得ることの外側に注目してゐるとのことです。

内的性質と外的性質

ウィトゲンシュタインは世界を事実の集合であると見做し、事実を対象に分解します。事実を対象に解体する際、対象にとってはなくてはならない性質(内的性質)と対象にとってあってもなくてもよい性質(外的性質)とを分けることができ、我々が変化する対象に対して同じ対象であると判断を下すためには、その内的な性質を予め把握できてゐるのでなければならないと主張します。この件に関して「内的性質の具体例とは何か」といふことでしばらく討論しました。

不可知論

ウィトゲンシュタインは論理で語り得る領域(論理空間)の外については不可知であるといふ立場をとってゐるやうですが、私にはそれが不可知論に陥るのは一種の哲学的な態度の問題であるやうに思はれました。私の願望としてはやはり不可知論を克服したい、といふ気持ちがあるので、不可知なものを設定してそれに対して「沈黙」といふ態度を採るウィトゲンシュタインに俄かは賛成し難いところがあります。

とはいへ、単に気持ちの上で「同感できない」と言っても仕様がないので、当日の議論では「あらゆることには根拠がある」といふ命題を立てて話をしました。ウィトゲンシュタインは或る地点を超えた根拠については「語り得ない」としてゐるわけですが、それに対して私は生理学・心理学・社会学なりで根拠づけられる(その可能性がある)といふ見方になります。例へば、今回説明を受けたウィトゲンシュタインの説では事実と価値とは切断されてゐたわけですが、さういったことも個別科学の進歩によって経験的・理論的に基礎付け得るものであるといふ見方を提出しておきました。

【約1200字】

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