第1回名古屋哲学道場「死/生・狂気」
愛知県名古屋市で開催された哲学討論会(第1回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。
- 日時:2月18日(日)午後
- 場所:名古屋駅ビル内飲食店
- 参加者:以下の4名。kimさん・崎山ワタルさん・深草周・ゆーいんぐさん(五十音順)。
- テーマ:「死/生・狂気」
- 発表:予定発表者の崎山さんによるレジュメ配布とその内容の口頭説明。飛び入り発表はなし。
- 次回の開催予定日:調整中。
- 問合せ先:kusyaku_niken(at)yahoo.co.jp(深草)。
- 関連リンク:
- 使用されたレジュメ(アップロードされ次第リンクします)
- 哲学道場mixi支部(mixi内コミュニティ)
- 哲学道場公式サイト(2006/09/20開設)
発表
崎山さんは前半で死について、後半で狂気について述べました。
まづ死について、崎山さんは宗教上の(信仰を前提とした)主張と個人的な死生観を「拝聴するしかないもの」として、学問的な議論の範囲から退けます。次に 身体性や死体の量によって異なる死のイメージを羅列し、最後に死と生に関する疑問と既出の主張に対する批判を列挙してゐます。
狂気について。崎山さんは専門である法律学の見地を援用しつつ、フーコーの主張を批判します。即ち、フーコーは狂気の認定が権力的・抑圧的であると見做す のですが、裁判においてはむしろほとんどの被告が狂気の認定を受けたがるものであり、検察側は逆に被告を正気だと主張するものである、といふことです。
主体の差
死のイメージについて、「私という感覚から遠ざかる」順に「近親者-知人-社会集団-狭義の他者」といふ序列を崎山さんは考へます。なほ「狭義の」とは、近親者・知人・社会集団を除くといふ意味ださうです。
ここでは、kimさんから「人間だけでなく、動物(ペット)やモノの死も入れることができるのではないか」との意見がありました。
死体のおぞましさ
また、崎山さんは第二次大戦中のアウシュヴィッツでユダヤ人の死体を大量に穴に入れてゐるブルドーザーの写真と、鉄道における轢死体の写真とでは「おぞましさ」が異なると言ひます。
両者を異なると感じる原因としては次のことが考へられました。
- 死体の断面に生理的な不快感を感じるから
- 自分はアウシュヴィッツのユダヤ人には成り得ないが、轢死体には自分も成り得ると感じるから
- 死体の量が異なるから(死体が多ければ冷静に観察できる)
深草は「これらの『おぞましさ』にせよ、写真だけでなく、『アウシュヴィッツ』とか『轢死体』といった意味付けがあって初めて感じられる部分がある」と述べました。死体のイメージには多分に主観的・文化的な意味付けが含まれて来るといふことでせう。
安楽死施設の提案
崎山さんは「誤って死んだり、気まぐれで死ぬことを防止するために、安楽死は国営の福祉施設で執行されるべきである」と主張します。もちろん、この主張の前提として「死は自己決定可能である」といふ命題を崎山さんは支持します。
深草は「他の行為ならともかく、自殺といふ行為について成功/失敗(自分の思ひ通りになるかどうか)は分からない」と述べ、「生きる意志が固まった人々と 死ぬ意志を固めた人々が想定できるだらうが、大部分の人は外的な刺激次第で生にも死にも傾くグレーゾーンにゐるだらう」と言ひます。生死に限ったことでは ありませんが、彼ら/彼女らの意志は特殊なプログラムを施すことによってどちらにでも傾くことになるでせう。
異常者から逃げる
「お医者さんは試験を受けてパン屋です。パンは北極です。議会は稲妻です。私は父から生まれた。父は母です……」と叫び続ける人に歩み寄られたらどうするか、と崎山さんは問ひます。
深草は「逃げる」と答へます。それは彼ら/彼女らが「怖い」からで、彼ら/彼女らは「自分とは異なる原理」で生きてゐるから「何をされるか分からない」と感じるからだと述べます。
ゆーいんぐさんは「自分も狂気(ケガレ)になってしまふのではないかといふ不安を感じる」と言ひます。他の三人もこれには理解を示し、そのやうに感じる人はゐるだらうと述べるものの、しかし自分自身がそのやうに感じることはないと言ひます。
また、「逃げる」といっても電車の中など閉鎖空間ではその限りでなく、皆見て見ぬ振りをすることを深草は目撃してゐます。崎山さんが過去に行なってゐたエキセントリックな路上パフォーマンス活動でも同様の振舞ひが観察されたさうです。
知的障碍者と狂人
崎山さんは知的障碍者(特に精神遅滞者)は理解可能な対象として怖がられないと述べます。しかし、深草は「怖いと感じるかどうかは外見による。例へば可愛い声を出してゐるか、金切り声で叫んでゐるかで怖さは異なるだらうし、また服装によっても異なるだらう」と言ひます。
ゆーいんぐさんはこれを受けるカタチで、「知的障碍者とみるか精神障碍者とみるかは、実は『怖い人』と感じるかどうかで決まってゐる。『怖い人』=精神障碍者といふレッテルになってゐるのではないか」と推量します。
【約2000字】
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