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2007年2月 8日 (木曜日)

第2回浜松哲学道場「下とは何か」

静岡県浜松市で開催された哲学討論会(第2回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 日時:2月4日(日)午後
  • 場所:可美公園総合センター内会議室
  • 参加者:以下の5名。アムロさん・崎山ワタルさん・深草周・横井直高さん・Yさん(五十音順)。
  • テーマ:「下とは何か」
  • 発表:予定発表者の横井さんによるレジュメ配布とその内容の口頭による説明。飛び入り発表はなし。
  • 次回の開催予定日:2007年3月25日(日)午後
  • 次回のテーマ:未定
  • 次回の予定発表者:横井直高さん
  • 問合せ先:kusyaku_niken(at)yahoo.co.jp(深草)。
  • 関連リンク:

発表

横井さんは技術の発展に伴って哲学は本物そっくりのバーチャル(仮想現実)を扱へるやうにならなければならないと主張します。或る空間の中にゐる人にとってその空間がバーチャル空間ではなく、「本物」の空間であるといふ保証はありません。ですから、その空間の中にゐる人(「この私」)にとってとは常に可能性として「バーチャル空間を操る『あの人』」が現象して来ることになります。

バーチャルとは?

レジュメを一通り発表して頂いた後に問題になったのが「バーチャルとバーチャルでないものとの区別は何か?」「バーチャルは現代特有の問題なのか?」といったことでした。ここで述べられてゐる問題は偽物に騙されるといった一般的問題に還元できるのかといふ議論になりかけましたが、差当りは横井さんが念頭においてゐる現代におけるバーチャル(例へば傍目には静止してゐるのに内部にゐる人には加速運動してゐるやうに体感できるマシン)を中心に考へてみようといふことになりました。

前回の関係

横井さんは「今回の『この私』と『あの人』との関係も基本的には前回の構図と同様である」と述べます。前回の構図は次の通りでした。

――テーブルの上に幾つかコーヒーカップが並べてあり、「この私」は、別の角度からテーブルを見てゐるボーイ(あの人)に「真ん中のカップを取って欲しい」と告げる。しかし、「この私」と「あの人」とは異なる位置からテーブルを眺めてをり、必ずしも同一の「真ん中」を共有してゐない。「真ん中」とは相対的なものである。

――この構図においては、それぞれ異なる視点を持った両者の関係もまた相対的なもの(入れ替へ可能)です。

認識論的関係と存在論的関係との差異

今回横井さんが批判されたのは、前回の相対的関係と今回の関係とを同一視してゐた点です。

前回の関係は言はば同一の空間の中で生じた関係であり、両者は入れ替へ可能で相対的・対称的な関係にあります。別言すれば「この私」と「あの人」とは対等であり、どちらが絶対的に正しいとは言へません。私の語感で言はせてもらへば、両者は「みる-みられる」といふ認識論的な関係にあります。

一方、今回の関係は同一の空間において生じたものではありません。バーチャル空間と本物の空間とでは物理的に同じ空間であっても意味付けが異なり、二つの空間の関係は一方的で入れ替へ不可能です。同様に、バーチャル空間の中にゐる「この私」とバーチャル空間を外から操作する「あの人」との関係も対等ではありません。両者の関係は絶対的・非対称的であると言へます。私の語感で言はせてもらへば、両者は「つくる-つくられる」といふ存在論的な関係にあります(尤もこの存在論的な関係を認定するのは論者=我々に他なりません)。

認識論的関係と存在論的関係との区別が明らかになったことが今回の大きな成果だったと言へます。

【約1700字】

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