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2007年3月31日 (土曜日)

第25回哲学道場高円寺「夢」

東京都杉並区で開催された哲学討論会(第25回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 日時:3月24日(土)午後
  • 場所:高円寺北区区民集会所
  • 参加者:以下の6名。アムロさん・崎山ワタル・三四郎さん・どんさいさん・ノシさん・深草周(五十音順)。
  • テーマ:「夢」(発表担当:深草)
  • 次回日程・御問合せなどは哲学道場公式サイトからお願ひ致します。

発表

まづサブレジュメ担当の崎山さんから夢に関する諸学説の紹介があり、次にメインレジュメ担当の深草が「夢と現実との絶対的区別」に関するレジュメを発表しました(これらのレジュメはこちらの報告集からリンクされてゐます)。

深草の発表内容は、夢と現実とを「この私」が区別する体験的指標として五つほどを羅列し、各々について否定するかもしくは指標としての有効性を疑問視するカタチで「夢と現実とは絶対的には区別ができない。即ち、これが現実であるといふ確証はないし、またこの世界から目覚めないといふ保証もない」といふ結論を導くものです。

批判点

  • 提出された論点「夢は白黒/現実はカラー」は視覚的な側面に限った命題なので他の感覚に訴へる夢もあるといふ記述が欠けてゐるとの指摘がありました。
  • また、「全色盲の人の割合が多いコミュニティ」といふ具体例について、「出す意味がよく分からない、もっと素直な例にすべき」との指摘がありました。
  • 「夢とか現実とか言ふのは誰の夢・誰の現実であるのか」といふ疑問が提出されました。深草は「『私』である。といっても特定の一個人の話ではなくて、類としての『私』のことだ」と応へましたが、この点にも配慮が薄かったと言へます。
  • ノシさんからは「そもそも絶対的な指標を考へること自体が空想的ではないのか? そもそも存在しないものを立てて議論を始めてゐるやうに見える」、また崎山さんからは「藁人形論法ではないか」との批判がありました。なほ「藁人形論法」とは相手の主張を自分に都合の良いやうに歪めて批判する論じ方のことを指します。

どの夢が「現実」としての地位を獲得するのか

遅れて入って来たアムロさんは「自分は一貫してゐるものを現実として他の夢から区別する」と述べます。ここから、実際に夢と現実とを区別してゐる人はどのやうに区別してゐるのか、夢を現実と思ひ込んだり、現実を夢だと思ってゐることはないか、といふ事実の話に入って行きました。

例へばキリスト者の人々は信心深いとは思はれない人々でも当然のやうに「神の国における救ひ」を信じてゐると崎山さんは言ひます(実際そのやうな人々に出会ったといふことでした)。つまり、その人々にしてみれば、価値付けとしては所謂「無宗教」な人々が考へるところの「現実」よりも「夢」の方が深刻なものとなってゐるわけです。実際、キリスト教に限らず、そのやうな信仰を持ってゐる人々は実際少なくはないでせう。してみれば、「夢と現実とは区別できない」といふ主張は言はば宗教的な「彼岸」の主張に与するものだと言へさうです。

私としては今回の発表は「論点分割」の練習の心積もりだったのですが、やはり各論点に不備があり、また、さらに細かく綿密に分割できることが実感されたので、有意義であったと思ってゐます。

【約1300字】

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