第26回哲学道場高円寺「幸福」
東京都杉並区で開催された哲学討論会(第26回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。
- 日時:4月7日(土)午後
- 場所:高円寺北区区民集会所
- 参加者:以下の6名。・崎山ワタル・三四郎さん・dualityさん・どんさいさん・深草周・Hさん(五十音順)。
- テーマ:「幸福」(発表担当:三四郎さん及び崎山)
- 次回日程・御問合せなどは哲学道場公式サイトからご覧下さい。
発表
まづ崎山さんのサブ発表の内容を深草は次のやうに受け取りました。
- 問題には「決める」問題と「決まる」問題とがあり、問題と解答とが一対一対応をなしてゐるものが「決まる」問題である
- 公共のことについて幾つかの選択肢が出てきた場合、それぞれの選択肢を採ったときに各自がどのくらゐHappyになるかをアンケートして数値化するとしよう。このとき、どの政策を採るべきかを計算する基準が複数ある(フルビッツ基準・ミニマックス基準など)
- しかし、もちろん特定の基準に沿へば解は「決まる」が、どの基準に従ふかは「決まる」問題ではなく、「決める」しかない問題である(これを「決まる」問題にするためにメタ基準を持ち出せば無限後退に陥る、と深草は理解しました)
- また、或る社会政策が特定の社会の構成員のハッピー感を増大し、しかも他の構成員のハッピー感を下げないのであれば、その社会政策を採用するといふ考へ方(パレート改善)があるが、特定の構成員にだけ影響を与へるやうな(つまり他の構成員から全く独立した)理想的な選択肢は現実にはほとんどない
- 以上から、第三者的な「最大化」「最適」といふ評価の意味は薄く、崎山としては当事者にとってハッピーを達成するための選択肢が開かれてゐるかどうかが問題になる
- ハッピー感は量的にではなくて、その変化率において捉へるべきである
要するに、次から次へとオプション商品が登場するやうな社会が理想的であるといふことのやうです。
次に、三四郎さんのメイン発表の論点は次の通りです。
- 幸福と効用との区別:幸福は安定的なものであり、効用は一時的なものである。将来にわたって期待される諸々の効用から、リスクの分を差し引いたもの(現在割引価値)が現在の幸福であると定義する
- マズローの欲求五段階説に見られるやうに、同じ欲求に対してであっても、得られる効用は人それぞれであることを前提する
- 序数的幸福と基数的幸福:幸福の測定は幸福同士の順序付けに等しい。そこで幸福が序数的なものか基数的なものかが問題となる。序数的である場合、或る二者間に順序はつけられるが、量的比較はできない。一方、基数的である場合、量的比較が可能でどの二者間についても順序をつけることができる(完備性がある)。これは個人の幸福について言へることだが、社会の幸福もこれに依存する
飛び込み発表
二つの発表(+議論)が終はったところで、どんさいさんから「社会生活」に関するペーパーが配られました。その中に「自己実現」といふ言葉があり、深草は以前からこの言葉の意味(どんさいさんが使ふ意味のみならず、一般に通用してゐる意味)がよく分からなかったので、その意味を尋ねました。
しかし、どうにも用語が素直でなく(これは飽くまで深草の印象ですが)、問答の末に以下の意味で「自己実現」を使ってゐるらしいと了解しました。
- モノについては可能性が現実になるといふ変化があり、生物については「新陳代謝」があり、人間については目的や思ひ(表象)の現実化があるが、このうち、「新陳代謝」と目的や思ひなどの実現を特にまとめて「自己実現」と呼ぶ
まづ人間の目的が現実化することだけを「自己実現」と呼ぶのであれば了解できますし、変化一般を「自己実現」と呼ぶのであればこれも(隨分奇妙な用語法だといふ気がしますが)一応了解できます。しかし、新陳代謝のやうなものについて断定的に人間の目的などと同じ用語で括り、その上それを何故かモノの変化から締め出すといふのは何故なのかサッパリ深草には分かりませんでした(どうも同じ言葉で括ることに意味があるらしいのですが、それなら変化一般のことを括って「自己実現」とでも呼ばないのは何故でせうか)。
といふのも、植物の新陳代謝などはそれが単なる可能性の実現なのか、それとも植物が目的を持ってゐてそれが実現されるのかは必ずしも自明ではないからです(可能性や目的などと新陳代謝とは全く別物であるとか、可能性と目的性との中間的なものなのだとか言ふ主張であるならば、なほのこと説明が要るでせう)。或いは植物も「自己実現」すると言ふのであれば、植物の「自己」が如何なるものかを説明して頂きたいと思ひました。
どんさいさんによれば、この「自己実現」はすべての人間が常に行なってゐることなのださうです。そして「自己実現」の評価は評価者の持つ評価系によって決まるのださうです。また、評価系自体も評価対象になるので、社会的に「評価系の評価系」といったものも形成されてゐるだらうといふことでした。
これに対し、崎山さんは「評価系についての記述としては納得できるが、しかし、現実の行動指針としては役に立つものではない」と批判し、また、深草は「ミニマックス基準などの計量的基準などと同様、これらの記述に伴ふ判断からは『この評価系よりもあの評価系の方が絶対的に優れてゐる』といった価値的判断は出て来ない」と評しました。
――やはり哲学道場の議論を制する猛者の出現を期待します(泣)。
【約2300字】
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