2006年3月18日 (土曜日)

【引用004】スピノザのマキアヴェリ評

スピノザ国家論』(畠中尚志訳、岩波文庫、1940、p.61-62)から。

単に支配欲にのみ駆られている君主がその国家を強化し、維持しうるためにはどんな手段を用いなければならぬかについて明敏なマキアヴェリが詳細に説いている。しかしマキアヴェリがどんな目的でそれをやったのかは十分明らかではないように見える。もし彼が、すべての賢明な人間から期待しうるように、何らかのよい目的を持っていたのだとすれば、それは多くの人々が、君主を暴君たらしめる諸原因を除去することもできないのに、いたずらに暴君を除こうとのみ努めているのがいかに賢明でないやり方であるのかを示そうとしたのであるらしい。実際、君主を暴君たらしめる原因は、君主に恐怖の理由を多く与えれば与えるだけ多くなるのである。……このほかにマキアヴェリはおそらく、自由な民衆が自己の安寧をただ一人の人間に絶対的に委ねきることをいかに用心しなければならぬかを示そうと欲したのである。……マキアヴェリは確かに自由の味方であったし、また自由を守るために数々の有益な助言を与えているのであるから、それにつけても私はこのはなはだ賢明な人間についてこう信ずる気持にされるのである。

学者に対する評価はかうありたいものです。相手の賢明さを尊重するといふことがなければ、自分の視野を広げることもできないし、議論も成り立たないと思ひます。

念のために付け加へれば、私はこの文章において、マキアヴェリが実際にどういふ意図を持ってゐたかよりも、スピノザの好意的かつ建設的な態度の方に眼が行くし、そこに倣ふべきものを感じるといふことです。

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2006年3月16日 (木曜日)

【引用003】常識と仮説

竹内薫『99・9%は仮説』(光文社新書241、2006、p.92-93、強調は原文)から。

データから新しい理論を導き出す帰納法は、「はじめに仮説ありき」という大きな壁がたちはだかっているためにうまく働かない、と いう話をしました。/どんな実験データ、観測データも、実験者や観測者の頭のなかにある仮説のなかでしか解釈されないわけです。そういう意味で、「裸の事 実」なんてものは存在しないわけです。/だから、データが仮説を倒すことはできないんですよね。「仮説を倒すことができるのは仮説だけ」なんです。/で も、よく考えてみると、これって演繹法のことを指しているのでしょうか?/ガリレオの望遠鏡をデタラメだと言い放った、あの教授たちの頭にこびりついてい た方法論です。/答えから先に言えば、「イエス」です。演繹法でしか、古い仮説は倒せないのです。/でも、誤解しないで下さい。ガリレオやミリカンは、 「はじめに仮説ありき」ということを充分に理解していたのです。それが、教授たちとは決定的にちがうところです。/そもそも、ふつうの人は、自分の頭のな かが仮説だらけであることに気がついていません。そういう人が演繹法を用いても無駄なわけですよ。/つまり、こういうことです。/古い仮説を倒すことがで きるのは、その古い仮説の存在に気づいていて、そのうえで新しい仮説を考えることができる人だけなのです。/いうなれば、演繹法はこの条件を満たした人し か使ってはいけない方法なのです。

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2006年3月15日 (水曜日)

【引用002】学校教育

吉田新一郎『「学び」で組織は成長する』(光文社新書239、2006)から。

一人ひとりの学び方やペースは歴然と違う。この本のなかでも何度も指摘していることだが、従来から行われている研修は、そのことにほとんど配慮してこなかった。人の学び方やペースは一様であることを前提に行われていた、といっても過言ではないくらいである。……これは日本の学校教育のあり方と同じである。学ぶ方法、学ぶペースが異なる生徒を、一律のテストで測定してしまう。教師が与える学ぶ方法が合わない生徒、学ぶスピードが人より遅い生徒に対するサポートは期待できない。/この横並びを前提とする研修方法が、期待するほどの学びを生み出せてこなかった一つの大きな原因である。

そもそもなぜ多人数で学ぶかといふと、それは自分と異なる視点からの意見を聴くためだと思ひます。与へる教育では教師と生徒との一対一関係の延長にしか過ぎません。

しかし、それしきのことは分かってゐると思っても、なかなか実際にやれるものではないでせう。やはり最初は自分が教へられたやり方で人にも教へることになると思ひます。さういふ点から言へば、学校教育といふのは単に教科の内容を教へるだけではなく、教へ方を教へてゐるのだとも言へませう。

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2006年3月14日 (火曜日)

【引用001】田邊元と亀/時間論

整数の集合から見れば、偶数の集合はその半分をなすと私たちは常識的に考へてゐる。しかし、数学の集合論によれば、整数の集合と偶数の集合とは各要素を一対一に対応させることができる。どの偶数をとってもその半分の数が整数にあり、どの整数をとってもその二倍の数の偶数が存在するからだ。

田邊元氏はこのやうに数学の集合論を引いて、アキレスと亀の逆説について数学からの解決を紹介します(『哲学入門』、筑摩書房、1955、p.127-128)。

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