2007年6月24日 (日曜日)

第28回哲学道場高円寺「コミュニケーション」

東京都杉並区で開催された哲学討論会(第28回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 日時:6月16日(土)午後
  • 場所:高円寺北区区民集会所
  • 参加者:以下の4名。崎山ワタル・dualityさん・どんさいさん・深草周(五十音順)。
  • テーマ:「コミュニケーション」(発表担当:崎山ワタル)
  • 次回日程・御問合せなどは哲学道場公式サイトからご覧下さい。

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2007年6月 3日 (日曜日)

五月の哲学道場(2007)

五月に各地で行なはれた討論会について書く。ニコニコ動画の見過ぎなど自己管理の甘さが祟って報告しようと思ってゐることが溜まってしまった。よって今回は各地で話されたことに対し簡単にコメントを付すだけにしておく。余裕があれば後から書き足したりコメントをつけるかもしれない(各回で使用されたレジュメへもアップロード次第リンクする)。

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2007年4月14日 (土曜日)

第26回哲学道場高円寺「幸福」

東京都杉並区で開催された哲学討論会(第26回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 日時:4月7日(土)午後
  • 場所:高円寺北区区民集会所
  • 参加者:以下の6名。・崎山ワタル・三四郎さん・dualityさん・どんさいさん・深草周・Hさん(五十音順)。
  • テーマ:「幸福」(発表担当:三四郎さん及び崎山)
  • 次回日程・御問合せなどは哲学道場公式サイトからご覧下さい。

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2007年3月31日 (土曜日)

第25回哲学道場高円寺「夢」

東京都杉並区で開催された哲学討論会(第25回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 日時:3月24日(土)午後
  • 場所:高円寺北区区民集会所
  • 参加者:以下の6名。アムロさん・崎山ワタル・三四郎さん・どんさいさん・ノシさん・深草周(五十音順)。
  • テーマ:「夢」(発表担当:深草)
  • 次回日程・御問合せなどは哲学道場公式サイトからお願ひ致します。

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2007年2月 6日 (火曜日)

第24回哲学道場高円寺「性愛」

杉並区高円寺で開催された哲学討論会(第24回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 開催日時:2月3日(土)午後
  • 開催場所:高円寺北区区民集会所
  • 参加者:以下の5名(敬称略)。アムロ・コペ・崎山ワタル・どんさい・深草周(五十音順)。
  • 今回のテーマ:「性愛」
    発表:予定発表者の崎山ワタルさん・アムロさんによるレジュメ配布とその内容の口頭による説明。飛び入り発表はなし。
  • 次回の開催予定日:2007年3月24日(土)
  • 次回の討論テーマ:「夢」
  • 次回の予定発表者:深草・崎山ワタル氏
  • 問合せ先:kusyaku_niken(at)yahoo.co.jp(深草)。
  • 関連リンク:

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2007年1月24日 (水曜日)

第23回哲学道場高円寺「笑い」

杉並区高円寺で開催された哲学討論会(第23回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです(アップされ次第、当日の様子を収めた動画を記事内に挿入致します)。

  • 開催日時:1月20日(土)午後
  • 開催場所:高円寺北区区民集会所
  • 参加者:以下の6名(敬称略)。アムロ・えすかるご・崎山ワタル・どんさい・ノシ・深草周(五十音順)。
  • 今回のテーマ:「笑い」
  • 発表:予定発表者の崎山ワタルさんによるレジュメ配布とその内容の口頭による説明。飛び入り発表はなし。
  • 次回の開催予定日:2007年2月3日(土)
  • 次回の討論テーマ:「性愛」
  • 次回の予定発表者:アムロ氏・崎山ワタル氏
  • 問合せ先:kusyaku_niken(at)yahoo.co.jp(深草)。
  • 関連リンク:

笑ひの再生産

崎山さんは笑ひの再生産を目的として三部構成の発表をしました。なほ崎山さんの「笑い」は定義が非常に曖昧なやうに見受けられるので、括弧付きで「笑い」と表記します。

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2006年12月 5日 (火曜日)

第22回哲学道場高円寺「時間・戦争・美しさ」

東京・高円寺で開催された哲学討論会(第22回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 開催日時:12月2日(土)午後
  • 開催場所:高円寺北区区民集会所
  • 参加者:以下の6名(敬称略)。崎山ワタル・duality・どんさい・ノシ・深草周・yuanqiao(五十音順)。
  • 今回のテーマ:「時間・戦争・美しさ」
  • 発表:予定発表者の崎山さんによるレジュメ配布とその内容の口頭による説明。飛び入り発表はなし。
  • 次回の開催予定日:2007年1月20日(土)
  • 次回の討論テーマ:「笑い」
  • 次回の予定発表者:崎山ワタル氏
  • 問合せ先:kusyaku_niken(at)yahoo.co.jp(深草)。
  • 関連リンク:

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2006年11月13日 (月曜日)

第21回哲学道場高円寺「神学」

東京・高円寺で開催された哲学討論会(第21回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです(なほ文中にあるYou Tube動画は予め参加者の方に同意をもらった上でで撮影・アップロード・掲載してをります)。

  • 開催日時:11月4日(土)午後
  • 開催場所:高円寺北区区民集会所
  • 参加者:以下の6名(敬称略)。a-rain・崎山ワタル・どんさい・ノシ・深草周・rice(五十音順)。
  • 今回の討論テーマ:「神学」
  • 発表:予定発表者深草によるレジュメ配布とその内容の口頭による説明。飛び入り発表はなし。
  • 次回の開催予定日:12月2日(土)
  • 次回の討論テーマ:「時間・戦争・美しさ」。
  • 次回の予定発表者:崎山ワタル氏
  • 問合せ先:kusyaku_niken(あっとまーく)yahoo.co.jp(深草)。
  • 関連リンク:

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2006年10月10日 (火曜日)

第20回哲学道場高円寺「理性Ⅱ」

東京・高円寺で開催された哲学討論会(第20回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

では具体的な内容について私から報告します。

なほ先頭に▼があるパラグラフ(段落)は報告ではなく、特に討論会終了後にそのテーマについて私が思ひついたこと、もしくは考へたことです。また、以下の記述は実際の討論の進行に沿って書いたものではありません。

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2006年9月 6日 (水曜日)

第19回哲学道場高円寺「理性」

東京・高円寺で開催された哲学討論会(第19回)の報告です。日時・参加者・次回の予定などは以下の通りです。

  • 開催日時:9月2日(土)午後
  • 開催場所:高円寺北区民集会所(高円寺駅北口徒歩6分)
  • 参加者:以下の四名(敬称略)。崎山ワタル・ときおちゃん・どんさい・深草周(五十音順)。
  • 今回の討論テーマ:「理性」
  • 発表:予定発表者深草による発表。レジュメはこの記事の最後に掲載。飛び入り発表はなし。
  • 次回の開催予定日:10月7日(土)
  • 次回の討論テーマ:今回と同じテーマで行ひます。従って「理性Ⅱ」です。
  • 次回の予定発表者:どんさいさん
  • 問合せ先:kusyaku_nikenあっとまーくyahoo.co.jp(管理人深草周)。
  • 関連リンク:

以下、具体的内容について報告します。

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2006年8月10日 (木曜日)

レジュメ@第18回哲高「生命」

第18回哲学道場高円寺で使用されたレジュメ二稿を挙げておきます。

まづriceさんのレジュメから。

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2006年8月 8日 (火曜日)

第18回哲学道場高円寺「生命」

東京・高円寺にて哲学の討論会を毎月開催してゐます。今回(8月5日)の参加者は、加藤貴大さん、aryuさん、riceさん、崎山ワタルさん、アムロさん、どんさいさん、dualityさん、深草の8名でした。

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今回のテーマは「生命」で、発表はriceさんとアムロさんがして下さいました(画像は今回の会場を映したもの。これまで会場だった喫茶店より静かで広くて(・∀・)イイ!)。

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2006年7月11日 (火曜日)

レジュメ@第17回哲高「世間」

東京は高円寺で開催されてゐる哲学討論会の第17回で使用されたレジュメ二稿を掲載します。

まづ、おのざわさんのレジュメです。

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2006年7月 5日 (水曜日)

第10回までの哲学道場高円寺

事実上の第1回から第10回に至るまでの哲学道場高円寺の記録を編集しました。私の日記からの引用に関しては、一部人名(ハンドルネーム)に関して現在に合はせて改変しました。また、参照の便宜のために、引用文中にリンクを付け加へた箇所があります。

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第17回哲学道場高円寺「世間」

東京・高円寺で哲学の討論会を開催してゐます。今回(7月1日)の参加者は、riceさん、ackeyさん、アムロさん、a-rainさん、おのざわさ ん、dualityさん、崎山(S代表)さん、どんさいさん、深草の9名でした。ちなみに全員大学(出身/在籍)が違ふさうです。

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2006年6月19日 (月曜日)

第16回哲学道場高円寺「意識」

東京・高円寺で哲学の討論会を開催してゐます。今回(6月17日)の参加者は、どんさいさん、アムロさん、a-rainさん、おのざわさん、崎山(S代表)さん、dualityさん、深草の7名でした。

今回のテーマは「意識」です。まづ私がレジュメを発表し、意識(心)と脳(或いは身体)との関係について、唯物論、二元論、不可知論の立場を簡単に解説し、レジュメの内容について多少質疑応答してから、議論に入りました。

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レジュメ@第16回哲学道場高円寺

第16回哲高(テーマは「意識」)で使用されたレジュメです。本の中から一部を読んでまとめただけのものですが、やはり全体を読まないと著者の立場に立って説明をすることは難しいと感じます。手抜きはできません……。

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2006年5月30日 (火曜日)

「哲学道場」の報告の客観性

私は哲学道場の報告を書いてゐます。しかし、「報告」や「記録」は一般にその客観性が疑はれる必要があります。

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2006年5月29日 (月曜日)

第15回哲学道場高円寺「視覚」

東京・高円寺で哲学の討論会を開催してゐます。今回(5月27日)の参加者は、どんさいさん、うみねこさん、李さえもんさん、Oさん、S代表、dualityさん、横井直高さん、深草の8名でした。

どんさいさんからレジュメと共に発表があり、そのところどころにツッコむかたちで討論が交はされました。

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2006年4月 4日 (火曜日)

第14回哲学道場「道徳」

4月1日に高円寺で開催された哲学道場の報告です。

今回のテーマは「道徳」でした。

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レジュメ@第14回哲学道場

第14回哲学道場(04/01開催)のレジュメです。
今回は正直言って手抜きです。ごめん……。

(以下レジュメ)

中島義道『悪について』(岩波新書935、2005)第三章「嘘」のまとめです。カントは或る行為が道徳的に善い行為なのか、或いは偽善なのかどうかは経験的に判断できないとし、純粋に客観的な善意志に基く行為のみが道徳的に善い行為であると規定します。

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2006年3月14日 (火曜日)

第13回哲学道場の報告

今回の哲学道場はどんさい氏が都合により欠席し、duality氏、K氏、S代表、深草、飛び入り参加のA氏の五名で開催されました。

いつも最初は雜談をしてから始めるのですが、今回はルイス・キャロルのパズルについての話をしました(『もつれっ話』、柳瀬尚紀訳、れんが書房新社、p.159、なほ、分数による表記は小数によるものに直した)。

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レジュメ@第13回哲学道場

第13回哲学道場(2006/03/11開催)の発表に使用したレジュメです。最後の方では科学が云々となってゐますが、そんなに大袈裟なものではなく、要は不可知論と素朴実在論との間をとってみましたといった程度のものです(この「間を採る」「中庸」といふことが弁証法を身につける上で頼りになる発想かなと思ふのですが)。

なほ、相対的真理の「相対的」がいかなる意味かについては、三浦先生のレーニン真理論批判を含め、改めて書きたいと思ってゐます(一応簡単に言っておけば、絶対的真理がマルバツ式なのに対し、相対的真理は場合分け式であり、条件付きといふことです)。

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2006年2月20日 (月曜日)

第12回哲学道場の報告

関係者の皆様お疲れ様でした。02/18に開催された哲学討論会の報告です。今回はどんさいさん、S代表、エンジニアのYさん、私の四人に加へ、途中からジョーカーさんにも来て頂きました。

最初はどんさいさんに発表(レジュメ)して頂き、そこから、「感覚表象-知覚表象-観念表象」といふ三段階は必要なのかといふ議論に移りました。

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2006年1月31日 (火曜日)

第11回哲学道場の報告

前回はいよいよどんさい氏と言葉が通じ始めたかにも思へ、建設的な議論へと発展する予感がしてゐましたが、今回(1月28日)は打って変はって議論が迷走し、絶望のズンドコに突き落とされた気分でした。

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2006年1月30日 (月曜日)

レジュメ@第11回哲学道場

先週土曜日に開催された哲学討論会で発表したレジュメを置いておきます。あの場における発表としては、独我論としての側面がうまく打ち出せず失敗してしまったと思ってゐます(以下レジュメ。一部日本語がをかしかったので修正した)。

 

「私」と世界

永井均『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書020、1995)からウィトゲンシュタインの主張 【註1】を簡単に抜粋して説明します。この本ではウィトゲンシュタインを前期・中期・後期に分けて解説してゐるので、本稿でもその区分に沿ってレジュメ化してゐます。

1.前期――写像理論

前期のウィトゲンシュタインは世界を相互に独立な要素に還元して説明できると考へ、各々の要素を命題として考へました(『論理哲学論考』)。あらゆる命題はそれぞれ独立に真偽が決定でき、n個の命題で表される複合的な事態については2のn乗個の可能な状態が考へられます【註2】。そしてその可能な事態のうちで現実に起きてゐるものを彼は「世界」と呼びました。

このやうな世界観にもとづき、彼は言語を現実の反映だと考へました(写像理論)。反映することが可能であるのは、現実とそれを記述する言語表現とが論理的形式(写像形式)を共有してゐるからであり、命題中の各単語にはそれぞれ対象が、単語の並べ方には対象同士の関係が表わされてゐるとしてゐます。

『論考』において「語り得ない」とされてゐるもののひとつは、この「写像形式」そのものであると永井は言ひます。「机の上にコーヒーカップがある」といふ表現(命題)は、机の上にコーヒーカップがあるといふ事実を表してゐますが、この表現と事実との指示関係について、「『机の上にコーヒーカップがある』といふ表現(命題)は、机の上にコーヒーカップがあるといふ事実を表す」と記述しても、この記述を理解するためにはまづ下線部の「机の上にコーヒーカップがある」を理解してゐることを前提にしなければならないからです。従って、或る表現とそれが指示する事実との関係を正確に定義しようと記述を重ねても、無限後退【註3】に陥るだけですから、この関係、即ち「写像形式」は語ることができません。

「写像形式」は世界の形式そのものであるが故に語り得ないのですが、もうひとつ、逆に世界の外側にあるが故に語り得ないものがあります。ウィトゲンシュタインはそれを「倫理」と呼び、永井は「死」や「神」もこれと同種のものだと言ひます。これらは世界の限界を越えた事柄です。そして世界とは「私の世界」であり、記述者である「私」のゐない世界は考へられません。世界の外と写像形式に満たされた内とを隔てる限界が「私」であるといふことになります。そして、世界の外については記述不可能です。

2.中期――検証理論と文法

すべての要素命題はそれぞれ独立に真偽が決定できると捉へてゐたウィトゲンシュタインでしたが、中期に入ると、文法に規定された命題同士の関係に気付きます。例へば、「コーヒーカップは白い」といふ命題は、「コーヒーカップは黒い」を否定してをり、この関係は文法的に規定されてゐると彼は考へました。これは必然的な関係であり、これもまた究極的には語り得ないものとされてゐます【註4】。

この語り得ないものについて、ウィトゲンシュタインは「検証理論」と呼ばれるものを提出します。これはその命題を検証することができなければ、その命題は無意味であるといふ主張です。例へば、「机の上にコーヒーカップがある」などの命題について、経験的観察は常に誤り得るから完全に検証することは不可能とする立場がありますが、それではそもそも「机の上にコーヒーカップがある」がどういふ事実を指すのか分かってゐるはずがありません。我々は既に「机の上にコーヒーカップがある」といふ命題がどういふ事実を指すのか、従ってどういふ規準のもとに「机の上にコーヒーカップがある」と言ってよいのかを知ってゐるから、そのやうに言明できるのです。そして、このやうな意味の知識は文法に属することですが、それは語り得ないことに属してゐます。

3.後期――言語ゲーム

後期ウィトゲンシュタインは言葉【註5】の意味や規則の根拠を実践(言語ゲームのプレイ)に求めます。或る規則は実践は語られることによって示されるのではなく、ただ実践することによって示されるに過ぎません。この実践について語ることはできますが、それは実践そのものではあり得ません。従って、言葉の意味は究極的にはただ実践の形式(生活形式)によって示されるだけで、対象化して語ることのできないものとされます。

例へば、教師が学生に「+2」といふ指示を与へ、学生は「2、4、6、8、……」と書き綴っていくとします。ところが、100を越えたあたりから、彼は「104、108、112、……」と書き始めました。教師は彼を注意しますが、彼は自分は指示通りに書いたと言ひ張ります。この場合、教師は規則を根拠として彼を説得しようとしますが、或る規則とその適用(実践)との間には必ずスキマがあり、規則の適用の仕方がまた新たなる規則として常に現れて来ます。そしてこの新たなる規則とその適用の仕方にもまた規則を挟むことができます。このやうにして無限に続くので、結局、教師は実演してみせて、「かういふものだ」と言ひ聞かせる他ないわけです。このやうに考へてみると、規則は行動の仕方を決定できないといふことになるでせう。

規則が究極的には行動の形式(生活形式)に基礎づけられるとすれば、我々と共通の生活形式を持たない存在とは規則を共有することができないといふことになります。従って、私だけの或る感覚が、何らかの観察可能な条件と結び付けられて共有なものと成り得るのはそれが他者と生活形式を同じくするからであり、文法などの規則によって基礎づけられてゐるのではない、といふのが後期ウィトゲンシュタインの考へ方になると思はれます。

  • 【註1】もちろん永井均の「ウィトゲンシュタイン」であることは言ふまでもありませんが。
  • 【註2】そもそも生起が不可能である命題は、無意味なものとして排除されてゐるやうです。
  • 【註3】挙げた例について、具体的に一段階後退させてみると、「「『机の上にコーヒーカップがある』といふ命題が机の上にコーヒーカップがあるといふ事実を表す」といふ命題は、『机の上にコーヒーカップがある』といふ表現(命題)が机の上にコーヒーカップがあるといふ事実を表すといふ事実を表す」とでもなるでせう。太字部は命題、下線部はそれに対応する事実の記述です。 
  • 【註4】文法の記述も文法を知らなければ理解することができません。ここでもまた無限後退に陥る可能性があるわけです。
  • 【註5】ただし、ウィトゲンシュタインは言葉だけでなく、およそ慣習的なコミュニケーション一般を念頭に置いてゐました。「言語ゲーム」の「言語」もそのやうな広い概念です。

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